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1999年、吉祥寺で路上ライブを行っていた天才高校生・松野恭平の前を、上京したてで「東京の音楽を調査していた」乾英明が偶然通りかかる。意気投合し、松野恭平(Ba , Vo)と乾英明(Gt)を中心に3人組のパンクバンド「黒赤ちゃん」を結成。吉祥寺を中心にライブ活動を行う。
2001年、メンバーの脱退を経て、松野恭平と乾英明の二人が残る。松野恭平(Ag , Vo)乾英明(Ag , Vo)に編成を変更し、アコースティックユニット「黒赤ちゃん」としてのんびり活動を始める。現在の黒赤ちゃんのルーツとなる音楽を作り始める。
2002年8月、自主制作で『くろあこーすてぃっく』を発表。 これがきっかけとなり、くるりのラジオ番組“OH MY RADIO”で放送。女の子向けファッション誌“mina”掲載。BAY FM“ベイサイドフリーウェイ”でオンエアされ話題をよぶ。また、この頃からサポートミュージシャンを迎え、バンド編成でのライブ活動を再開する。
2003年5月、ノンフィクションライター今一生(“生きちゃってるし、死なないし”“酒鬼薔薇聖斗への手紙”著)企画の『酒鬼薔薇聖斗カウントダウンイベント』に招かれ、各レコード会社、プロデューサーから楽曲と精神性を評価される。その後、最後の自主製作とし『夢の果て』というアート色の濃い作品を発表し、FMやカルチャー誌で特集される。
2003年8月〜2004年にかけDrCHABO≠ニBa矢澤賢太郎≠正式メンバーとして迎え2005年3月Root Musicより1st mini Album 『海をとびこえる作戦』をリリースし、東京ワンマン公演SOLD OUT、 『Daiki-sound セールスランキング』にランクインなど“ひねくれPOP”の旗手として話題になる。全国ツアー開始。森園勝敏(ex四人囃子)の前座を努める。
2005年11月、名古屋では初のワンマン公演決行。
2007年3月、Sony Music Group“ヴィレッジミュージック内Green Drop Label”より待望のMajor Debut 1st Album「少年ユニヴァースの地球儀」をリリース。ワンマンライブを東京吉祥寺スターパインズカフェ、名古屋ボトムラインの2箇所で開催。"少年ユニヴァースの地球儀"全国ツアー敢行。FUNKY MONKEY BABYS、Metis、Superflyらと共演。
2007年8月、渋谷クロコダイルで「真夏のワンマンライブ」開催。
2007年10月、第3回 せいせきハートフルコンサート〜耳をすませば〜に出演し、本名陽子さんのバックバンドを務める。
2007年12月、渋谷クロコダイルで「ミステリアスな忘年会」と題したワンマンライブを行う。
2008年4月、名古屋パラダイスカフェ21、長野キャンバスの2箇所でワンマンライブを行う。堂島孝平企画ライブイベント「サモ・タノシゲーナ」出演。
2008年11月、高円寺SHOWBOATにて「みんなおいでよ気球の旅ワンマンライブ」を行う。
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