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黒赤ちゃんは、ポップスバンドです。
空にかざして光に透かせてみてもポップス、虫眼鏡でマジマジと見てもポップス。
どこを切っても、ポップスなのに、それだけ! と言い切れない何かがある。…何か?
その何かは、確信犯です。黒赤ちゃんは、狙ってる。ちょっとの違和感とか、クセと
か、少しひっかかる感じが、本当はとても気持ちよくて、中毒性を持っていることを。

黒赤ちゃんはとても自由です。
「もっと芸術的に、深く」とボーカルが言い、「もっとキレイに、優しく」とギター
が言い、「もっと気持ちよく、重く」とベースが言い、「腹減った!!」とドラムが言う。
そう、黒赤ちゃんは、思い詰めて思い詰めて、4人で缶づめに入ってしまうくらい、
凝縮されてゆきます。
そしてその缶詰が爆発する瞬間、黒赤ちゃんはさらに自由になります。
そのたびに、どんどん自由になる4人。

黒赤ちゃんは文化的です。
そう、ボーカルが言っています。
芸術より少し身近で、娯楽よりはちょっと神妙な音楽なんだと。
文化バンド黒赤ちゃん。どうでしょう?

黒赤ちゃんは○○です。
その○○は、あなたにおまかせします。その○○を見つけたら、
メンバーに教えてください。どの○○も正解です。

曖昧なのに明瞭で、シンプルなのに難解で、静かなのに激しく、
ゆるいようでタイトで、優しいようで、すこしいじわるな、音楽。
近寄りがたいのに、はまりそう。

そう、やっぱり、いつまでも!
何かが起こる胸騒ぎ…。






松野 恭平 Vocal & Guitar
1983.9.1 東京都に生まれる。運動から逃げ続けた幼少時代。ファミリーコンピューター、東京ディズニーランドと同い年であり、「ドラゴンボール」「ドラゴンクエスト」などバーチャルの世界に親しむ。漫画家を志す。ピアノを習わさせられるが関心がなく上達せず。問題作「Live A Live」の影響で心を屈折させる。シーズーに噛まれたことが思い出深い。

12歳、Spitzに魅せられギター、作詞、作曲を始める。ひたすらに斬新なコード進行を追及する。繊細な音楽を求め、イギリスのロック、クラシック、ソ連の映画音楽などを聞く。

15-17歳、今までにない音楽を作りあげることをテーマに前衛的な曲を書く日々。
プログレッシブロック、ミニマルミュージック、ポリリズム、現代音楽、アヴァンギャルド、
サウンドスケープ(音の風景)などに影響を受け、音楽の深みにはまる。
King Crimson「Discipline」は人生を狂わせた一曲。当時はギター、ベース、ピアノなど様々なバンドで活動。一生懸命になっている人を嘲り笑う、極めて冷笑的な青年であった。

18-22歳、黒赤ちゃんを結成。映画「Koyaanisqatsi」と出会う。純文学、児童文学、詩に魅了され、三人称の文章に憧れを抱く。谷川俊太郎「二十億光年の孤独」「ワッハ ワッハハイのぼうけん」ケストナー「飛ぶ教室」、JDサリンジャー「ライ麦畑でつかまえて」、スタジオジブリ。
精神性の高い、文化的・芸術的な音楽を目指す。

24歳、B型と思い込んでいた血液型が実はO型だったと分かる。ショックから立ち直るため2008.1.16を「二度目の誕生日」とする。


乾 英明 Guitar & Side vocal
1981.7.2 岐阜県岐阜市に生まれる。走ることが得意で、サッカー、またリレーの選手に選ばれるなどアクティブな幼少時代を過ごす。ムード歌謡歌手、乾明美の息子として将来を期待されるが、11歳に人生のピークを迎える。

15歳、念願のギター(Fender Stratocaster/Stevie ray Vaughan model)を購入。その後、John Lennonを聞きながら、愛犬を抱きかかえ引きこもる。暗くなっていくのを救うため、友人にGreenDayを勧められるがそれを受け入れず、暗いまま生きる。

18歳、上京。The Beatles、The BeachBoys、U2、Queen、RadioHead、ColdPlay、Tahiti 80、松任谷由実、小田和正、fishmans、John Mayerなどメロディーが良く透き通っていて、綺麗なサウンド、変わったサウンドの音楽が好き。ギターらしい音よりも、キーボード的であったり難解で不可思議な音色を好む。また機材にも人一倍の情熱を向けている。影響を受けたギタリストは特にいない。歌と作曲を愛する。


矢澤 賢太郎 Bass & Backing vocal
1978.12.18 長野県飯田市に生まれる。野球と登山、アウトドアが好きな幼少時代を過ごす。高校時代は弓道部で部長を務めるなど、多彩な才能を発揮する。

18歳、上京と共に、ボーカル、オカリナ、ギターという独創的なスタイルで音楽活動を開始。その後、Larry Graham、Jaco Pastorius、細野晴臣らに魅せられ、ベースへ転向。現在も多数の民族楽器を所有し、アナログの可能性を追求している。村上春樹を愛読。天体・星座についての知識を持つ。

本質的なメッセージを感じさせる作品、安らぎを与える作品を好み、黒赤ちゃん加入後も独特のアイデアをバンドへ提供。ミュート奏法はどこまでも繊細である。いかなる時も15分前行動を心がけ、遅刻撲滅に一役買っている。

「ベースにMotherを求めているのか?」とベース自身に聞かれたとき、否定しながらもそれを認めた過去がある。


CHABO Drum & Percussion & Backing vocal
1978.11.13 群馬県高崎市に生まれる。一杯のご飯も完食できぬほど食が細く、現在身長159cm。「スーパーマリオブラザーズ」「ファイナルファンタジー」などのテレビゲームやアニメにどっぷりと浸かる幼少時代。プラモデル、ミニ四駆などで遊び、音楽無縁一家にて育つ。

15歳、ベースをプレゼントされたことをきっかけに音楽に興味を抱く。その後George Winston「あこがれ」に魅せられピアノを独学。友人の薦めでスティックを握ることになるが、当時はドラムセットに触ることも稀で、数年間はゴミ箱の上に座り、尻を痛めながらイメージトレーニングに没頭。

21歳、上京。chad smith(Red Hot Chili Peppers)との出会いはリズムの新たな扉を開くきっかけを与えた。Billy Ward、Buddy Rich、Dennis Chambers、村上ポンタ秀一、映画音楽、ゲーム音楽などに影響を受け、斬れのあるサウンド、蝶のように華麗で迅速に舞うドラミングを追求する。インスピレーションを感じる時は、専らライブ映像や多種多彩な打楽器関連映像を見ている時であり、CDはあまり聞くほうではない。

歴史や古代文明、宇宙、幽霊などミステリアスで神秘的な世界に関心がある。ジェットコースターをこよなく愛し、この時ばかりは奇人へとトランスする。今後の課題として「幽霊との会話」「ジェットコースター世界制覇」に野望を燃やす。






1999年、吉祥寺で路上ライブを行っていた天才高校生・松野恭平の前を、上京したてで「東京の音楽を調査していた」乾英明が偶然通りかかる。意気投合し、松野恭平(Ba , Vo)と乾英明(Gt)を中心に3人組のパンクバンド「黒赤ちゃん」を結成。吉祥寺を中心にライブ活動を行う。

2001年、メンバーの脱退を経て、松野恭平と乾英明の二人が残る。松野恭平(Ag , Vo)乾英明(Ag , Vo)に編成を変更し、アコースティックユニット「黒赤ちゃん」としてのんびり活動を始める。現在の黒赤ちゃんのルーツとなる音楽を作り始める。

2002年8月、自主制作で『くろあこーすてぃっく』を発表。 これがきっかけとなり、くるりのラジオ番組“OH MY RADIO”で放送。女の子向けファッション誌“mina”掲載。BAY FM“ベイサイドフリーウェイ”でオンエアされ話題をよぶ。また、この頃からサポートミュージシャンを迎え、バンド編成でのライブ活動を再開する。

2003年5月、ノンフィクションライター今一生(“生きちゃってるし、死なないし”“酒鬼薔薇聖斗への手紙”著)企画の『酒鬼薔薇聖斗カウントダウンイベント』に招かれ、各レコード会社、プロデューサーから楽曲と精神性を評価される。その後、最後の自主製作とし『夢の果て』というアート色の濃い作品を発表し、FMやカルチャー誌で特集される。

2003年8月〜2004年にかけDrCHABO≠ニBa矢澤賢太郎≠正式メンバーとして迎え2005年3月Root Musicより1st mini Album 『海をとびこえる作戦』をリリースし、東京ワンマン公演SOLD OUT、 『Daiki-sound セールスランキング』にランクインなど“ひねくれPOP”の旗手として話題になる。全国ツアー開始。森園勝敏(ex四人囃子)の前座を努める。

2005年11月、名古屋では初のワンマン公演決行。

2007年3月、Sony Music Group“ヴィレッジミュージック内Green Drop Label”より待望のMajor Debut 1st Album「少年ユニヴァースの地球儀」をリリース。ワンマンライブを東京吉祥寺スターパインズカフェ、名古屋ボトムラインの2箇所で開催。"少年ユニヴァースの地球儀"全国ツアー敢行。FUNKY MONKEY BABYS、Metis、Superflyらと共演。

2007年8月、渋谷クロコダイルで「真夏のワンマンライブ」開催。

2007年10月、第3回 せいせきハートフルコンサート〜耳をすませば〜に出演し、本名陽子さんのバックバンドを務める。

2007年12月、渋谷クロコダイルで「ミステリアスな忘年会」と題したワンマンライブを行う。

2008年4月、名古屋パラダイスカフェ21、長野キャンバスの2箇所でワンマンライブを行う。堂島孝平企画ライブイベント「サモ・タノシゲーナ」出演。

2008年11月、高円寺SHOWBOATにて「みんなおいでよ気球の旅ワンマンライブ」を行う。

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